カスタマーハラスメント対策
「お客様は神様」からの脱却と企業の責任

2025年10月22日

国内流通トピックス

■業種・業態:小売業  
■キーワード:カスタマーハラスメント/カスハラ/安全配慮義務/顧客満足

カスタマーハラスメントのイメージ画像

「お客様の声を大切に」。それはサービス業をはじめとする多くの企業が掲げてきた姿勢です。

しかし近年、その「お客様」がスタッフに対して不当な要求や暴言を繰り返す、いわゆる「カスタマーハラスメント(以下、カスハラ)」が社会問題として顕在化しています。

特に接客業では、現場のスタッフが日々ストレスにさらされ、心身に不調を来す事例も増えています。

「仕事だから我慢するしかない」という雰囲気が根強い業界もありますが、それを許容する企業風土こそが、労務リスクを生み出しているのです。

カスハラとは何か

「カスタマーハラスメント」「クレーム」「?」の文字がそれぞれ額縁に入っているイメージ画像

厚生労働省の「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」によると、カスハラは「顧客からのクレーム・言動のうち、当該クレーム・言動の要求の内容の妥当性に照らして、当該要求を実現するための手段・態様が社会通念上不相当なものであって、当該手段・態様により、労働者の就業環境が害されるもの」と定義されています。

もう少し具体的にいうと、以下のような行為がカスハラに該当する可能性があります。

  • 暴言・侮辱: 人格を否定するような言葉、罵詈雑言。
  • 威圧・脅迫: 大声を出す、物を叩く、土下座を強要する、「ネットに晒すぞ」といった脅し。
  • 長時間・執拗な拘束: 何時間にもわたってスタッフを拘束し、同じ要求を繰り返す。
  • 不合理・過剰な要求: 商品やサービスの対価として不相当な金品や謝罪を要求する、企業の責任範囲を超えた要求をする。
  • プライバシーの侵害: スタッフの個人情報を聞き出そうとする、SNSで誹謗中傷する。
  • セクシャルハラスメント: スタッフの容姿や身体に関する不適切な発言や接触。

これらの行為は、スタッフに強い精神的ストレスを与え、うつ病などの精神疾患や、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を引き起こす原因となります。

また、カスハラは特定のスタッフだけでなく、それを見聞きする他のスタッフのモチベーションや職場全体の士気にも悪影響を及ぼします。

これを踏まえ、企業側も具体的にカスハラ防止に向けた取組が必要不可欠となってきました。

労働契約上の「安全配慮義務」

企業には、労働者が安全かつ健康に働けるよう配慮する「安全配慮義務」があります(労働契約法第5条)。これは、単に機械や設備の安全管理だけでなく、精神的な健康も含まれます。

つまり、顧客からの悪質な言動を放置することは、企業がこの義務を怠っているとみなされる可能性があります。

最近では、過労やうつ病、適応障害などを発症したスタッフが、カスハラを理由に企業を訴える例も出てきています。

たとえば、ある飲食店では、顧客からの度重なる暴言を受けて精神疾患を発症したスタッフに対し、企業が損害賠償を命じられた例があります。

企業側は「その顧客は常連であり、注意しづらかった」と主張しましたが、裁判所は「スタッフを守る姿勢が不十分だった」として企業の責任を問う結果となりました。

カスハラがもたらす労務管理への影響

カスハラの対策が放置されると、労務管理に次のような影響が生じます:

■メンタルヘルス不調・休職
パワーハラスメントと同様、心の健康障害の原因となり得ます。労災認定の対象になる可能性もあります(精神障害の労災認定基準に該当)。

■従業員の離職・人材流出
特に接客業ではカスハラが離職の大きな要因の一つになっています。若年層を中心に「理不尽な顧客対応をしたくない」という理由で離職するケースもあります。

■職場全体の士気低下
周囲が対応を見て「会社は守ってくれない」と感じると、働く意欲が失せ、職場の信頼感が低下します。

カスハラがもたらす労務管理への影響のイメージ画像

東京都のカスハラ防止条例

こうした背景から、行政も動き出しています。全国に先駆けて制定されたのが「東京都カスタマーハラスメント防止条例」です。2022年に施行されたこの条例は、事業者に対し以下のような取り組みを促しています。

  • 企業として「カスハラを許さない」という 基本方針の策定
  • 被害が発生した場合の相談窓口の設置・体制整備
  • 従業員に向けた 教育・研修の実施

また、東京都は企業への啓発活動や支援を通じて、業界全体に防止の取り組みを広げる役割も担っています。条例自体には罰則規定はありませんが、行政の方針として明確に「カスハラを放置しない姿勢」が示された意義は大きいといえます。

国会で成立したカスハラ対策義務化法

さらに2025年6月、国会では雇用主にカスハラ対策を義務付ける法律が可決されました。施行は2026年中を予定しています。

この法律は、セクハラやパワハラ防止義務を企業に課してきた流れの延長線上にあり、いよいよ「カスハラ」も法的に対策を求められる段階に入ったことを意味します。

法律のポイントは以下の通りです。

■企業に対策方針の策定を義務化
「カスハラを許さない」という姿勢を明文化し、就業規則や社内規程に反映させる必要があります。

■相談体制の確立
専用窓口の設置や上司への報告ルートを整備し、従業員が安心して声を上げられる仕組みを構築しなければなりません。

■教育・研修の実施
実際に現場でどう対応するか、シミュレーションを交えた研修を行うことが求められます。

■行政指導の対象に
義務を怠った企業に対しては、行政からの指導や勧告が行われる可能性があります。

このように、カスハラ対策は「やるかどうか」ではなく「必ずやらなければならない」時代に入っているのです。

対応の基本は「組織としての備え」

オフィスで話し合う人々のイメージ画像

カスタマーハラスメントは、現場任せでは根本的な解決には至りません。以下のような組織的対応が求められます。

1. カスハラ対策の方針を明文化
厚生労働省は「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」を公表しており、そこでは「企業としての基本方針の策定」「対応体制の整備」「教育研修の実施」などが推奨されています。まずは、カスハラを許さないという姿勢を明文化し、就業規則や社内規定に落とし込むことが大切です。

2. マニュアルと研修でスタッフを支える
「どう対応すればいいのか分からない」という現場の声に応えるため、想定されるシチュエーションに応じた対応マニュアルを整備し、研修を通じてスタッフに周知します。必要に応じて上長への報告手順も明記しておくと効果的です。

3. 記録と報告の習慣化
ハラスメント行為が発生した場合は、その内容を記録し、社内で共有できる体制を整えましょう。コミュニケーションツールの活用や専用フォームなど、報告しやすい仕組みづくりがポイントです。

顧客満足とスタッフ満足の両立を目指して

一つ星から五つ星まで並んでいるイメージ画像

カスハラ対策は、明確な法律での規制はこれまでなされてきませんでしたが、先に述べた通り東京都では全国に先駆けて「東京都カスタマー・ハラスメント防止条例」が公布され、カスハラを防止するための具体的な取組が始まっています。

そして、こちらも先に述べた通り雇用主にカスハラ対策を義務付ける法律が可決、成立し、施行は2026年中を目指しています。

これにより、企業は法律をもとに、カスハラに対する方針の明確化、相談窓口の設置、従業員への周知・研修など、具体的な防止措置を講じる必要があります。

ただ、法律ができたからといって、カスハラがまったく起きなくなるか…というと、残念ながらそれはすぐには達成されないでしょう。

企業が「顧客第一主義」を掲げることは決して悪ではありません。しかし、それが「スタッフを犠牲にしてまで」成り立つようであれば、本末転倒です。

持続可能なサービスの提供には、スタッフが安心して働ける職場環境が欠かせません。

カスハラ対策は、単なるリスク管理ではなく、「スタッフを守る企業文化」を育てることでもあります。

それが結果として、お客様の信頼にもつながっていくのです。

(文)こんくり株式会社 代表取締役
特定社会保険労務士 安 紗弥香
発行・編集文責:株式会社アール・アイ・シー
代表取締役 毛利英昭

※当記事は2025年9月時点のものです。
時間の経過などによって内容が異なる場合があります。あらかじめご了承ください。