イマーシブが変えた演劇と施設の構造
2025年11月20日
海外流通トピックス
■業種・業態:小売業
■キーワード:イマーシブ/VR/AR/シアター

演劇や施設設計、都市体験のキーワードにもなっている「イマーシブ(immersive)」。イマーシブとは、五感や全身を通じて空間や物語に深く「没入」する体験のことです。
テクノロジーと融合したこの仕掛けは、演劇を超え、施設そのものの構造を変えつつあります。観客はもはや“観る側”ではなく、空間の一部として物語に組み込まれています。
イマーシブ体験の宝庫、ラスベガス
イマーシブ体験の広がりは、テクノロジーの進化と密接に結び付いています。
VR(仮想現実)、AR(拡張現実)といった技術は、これまでは見たり、聞いたりするだけでした。
それが触覚や空間認識にまで作用するようになったのです。
単なる映像体験ではなく、身体ごと空間に包み込まれるような感覚。それがイマーシブの本質になります。
イマーシブ体験の先駆的な例として挙げられるのが、米国ラスベガスにある商店街の天井全体に設置されたアーケード型LEDスクリーンとしては世界最大級の「Viva Vision」です。
毎晩、音楽と連動した映像ショーが開催され、通行人は天井全体に包まれるような体験を味わえます。この装置は1995年から現在まで進化を続けています。
ラスベガスはイマーシブ体験の宝庫であり、都市全体が没入型エンタメの実験場であり、空間・演出・参加型体験が融合する場として世界でも突出した存在です。
イマーシブ施設の代表、Sphere
ラスベガスを象徴する巨大建築が「Sphere(スフィア)」です。
2023年に完成した最新の球体型コンサートホールで、こけら落とし公演を行ったのは、アイルランド出身のロックバンド「U2」。
都市型イマーシブ施設の幕開けにふさわしい、世界的アーティストによる演出でした。
その後40回以上のソールドアウト公演を行ったことで、さらに有名になりました。
外壁全面がLEDスクリーン(Exosphere)で覆われ、都市全体を巻き込むスケール感があります。
内部には世界最高解像度のディスプレイを導入し、視界全体を包み込む映像体験を提供しています。
ドイツの音響メーカー「HOLOPLOT」の没入型音響システム「Sphere Immersive Sound」も導入され、座席の振動や風や香りの演出によって、観客は五感すべてが巻き込まれます。
ラスベガスにはSphere以外にもイマーシブ施設があります。「AREA15」は、VR、AR、アート、ライブ・パフォーマンスが融合する複合施設です。
その中の「Meow Wolf’s Omega Mart」は、スーパーマーケットの体裁がとられたアート空間。陳列棚の奥や冷蔵庫の扉の先には幻想的な空間が広がり、奇妙な商品に隠された伏線を読み解きながら、物語の登場人物として巻き込まれます。
イマーシブ・シアターとは何か
ここでイマーシブ体験について、整理をしておきましょう。イマーシブ体験は大きく分けて「イマーシブ施設」と「イマーシブ・シアター」の2つがあります。
ラスベガスの例では、イマーシブ施設だけですが、フランス・パリの「Atelier des Lumières(アトリエ・デ・リュミエール)」やドイツ・ドルトムントの「Phoenix des Lumières(フェニックス・デ・リュミエール)」などが知られています。展示を見るのではなく、“空間にいること”そのものが体験となります。
それでは、もう一方のイマーシブ・シアターについて解説しましょう。
イマーシブ・シアターとは、物語の中に入り込む演劇体験のことで、舞台と観客席とが分かれていないのが大きな特徴です。
観客は「物語の一部」として振る舞い、都市空間そのものが舞台となります。
さらに印象的なのが「1on1」と呼ばれる演出。俳優が観客の中から1人だけを選んで手を取り、他の観客とは隔絶された空間へと連れて行きます。
ここでは目隠しされたり、手紙を渡されたりするなど内容は多様。声の質感や行動などで、観客の五感を揺さぶる演出が用意されています。
ロンドンからNY、上海、ソウルに広がった「Sleep No More」
イマーシブ・シアターという演劇形式は、英国の劇団「Punchdrunk(パンチドランク)」が世界的に広めた先駆者とされています。
その代表作がシェイクスピアの『マクベス』をベースに、ヒッチコック風の演出で再構成された『Sleep No More(スリープ・ノー・モア)』。いまやイマーシブ・シアターの代名詞となっています。
『Sleep No More』は2003年にロンドンの廃工場を使って初演され、2011年から米国ニューヨーク・チェルシーにある「マッキトリックホテル」で上演が始まり、2025年1月に幕を閉じました。
マッキトリックホテルは、廃墟ホテルを改装して架空のホテルとした6階建ての建物で空間全体が舞台となり、俳優はほぼ無言で、コンテンポラリーダンスや所作で感情や関係性を表現します。
物語の背景や人物の心理が、空間そのものに埋め込まれています。
20人以上の俳優が同時に異なる場面を演じる中、足音、ドアの軋み、ジャズやクラシックなどの音楽が、場面の空気感や緊張感を演出。音の変化を頼りに、観客は“何かが起きている場所”を探すこともあります。
仮面を着けた観客はどの俳優を追うか、どこにとどまるかを自分で選んで自由に探索します。
俳優と同じ空気を吸いながら物語を体感する手法は、観劇の定義を根底から揺さぶりました。現在では中国・上海で上演されており、すでに長期公演となっています。
この上海版は、ニューヨーク版の成功を受けて、Punchdrunkが2016年からスタート。ニューヨークとは異なる建築構造を活かし、より迷宮的な体験が可能になっていると言われています。
韓国・ソウルでは、独自の演出チームによる『Sleep No More』が2025年8月~11月まで上演される予定で、やはり人気を博しています。
今回は、イマーシブが演劇と施設などに与えた影響を紹介しましたが、小売業界、外食業界で新しい買い物体験、体験価値を提供することの重要性が問われ始めています。
感性を重視する芸術分野とは異なり、スマートカートやモバイルオーダーなど機能性を中心とした体験を提供することで、確実に店での買物体験は変化し始めています。
(文)経済ジャーナリスト 嶋津典代
発行・編集文責:株式会社アール・アイ・シー
代表取締役 毛利英昭
※当記事は2025年10月時点のものです。
時間の経過などによって内容が異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

